会の歴史

私達夫婦は、若い頃出会い、夢を持って自由に生きたいという所で意気投合し、結婚しました。自由には、独立が必須条件です。その為に、二人で懸命に各々が出来る事で働き、その結果自立はしましたが、それだけでは物足らず、会の代表である夫がライフワークとしてたどり着いたのは自然卵養鶏でした。現在の地を探し当て、自ら鶏舎を建て、「自生農場」と命名し、開拓精神を持って始まりました。その頃、私が長女との関係の持ち方から生き詰まり、極限状況の中で、宮澤賢治の人間定義から真に納得した答えを見いだしました。それから宮沢賢治を具現的に生きる方法として、約3年間一人でゴミ拾いをし、その真理を実感し、かつ自分を社会化できました。

そんな時、ゴルフ場の建設計画の予定地の中に我々の農場が入り、良い条件で立ち退きを要求されました。次世代のために良い環境を残さなければという点で環境問題に関心が高かった私達は、宮澤賢治の「正しく強く生きるとは、銀河系を自らの中に意識してそれに応じて行く事である」という言葉に背中を押され、思い切ってゴルフ場建設反対運動に踏み切りました。反対署名集め、議会への陳情書提出、県内初の立木トラスト運動などの活動を通して、平成四年四月八日(お釈迦様の誕生日)にこの「猿島野の大地を考える会」は発足しました。そして宮澤賢治的世界観で生まれた会なので、反対運動も「対決」ではなく「対話」の姿勢で行い、結果的にはゴルフ場側も会の要望(オオタカの保護区を設けること、農薬散布をできるだけ軽減することなど)を受け入れ、2年近くのレイアウトの変更期間を経て開場しました。この反対運動をきっかけに、会は環境問題に開眼し、根本的な解決法を目指し動き出しました。開場から現在まで、ゴルフ場とこの猿島野の大地を考える会は、ありがたい共生関係を保ち続けています。その理由は、活動内容のもったいないピースエコショップのページをご覧ください。

一方、かつての私のように家族の関係やとりあえず生きていたことで生き詰まってしまった人達に、宮澤賢治哲学を通して生き直すきっかけになってもらえたらと、これまでに4冊の本を著しました。4冊目の本は、「とりあえず症候群のあなたへ」という題名で、賢治を生きる過程で生まれた自作の十数曲の歌を入れたCD本です。会の基盤となっている賢治の世界観が、以前茨城新聞の「私の時評 」に5回にわたって掲載された中から汲み取れます。そこに文と関連づけて5曲の歌を譜面と共に添えましたので、お聴きになりたい方はこちらをクリックしてください。

とりあえずの言葉

人間を考える事から

崇高な魂光る「宮澤賢治」

宮澤賢治を生きる

人類は宇宙っ子