エコーいばらき

平成26年度も、前年に続いて「エコーいばらき」から募集があったので、少しでも会の前進につながればと思い応募しました。幸いな事に、前年度の倍近くの助成金をいただけました。先ほど、その応募内容を見つけ、会の有り様を理解してもらえ、共鳴して一緒に活動してもらえる方と出会えたらという願いもあってここに載せる事にしました。ちょっと長すぎてごめんなさいですが、お許しください。

助成を希望する理由および事業費
 なお、ESDの実施には、特に二つの観点が必要とあります。その点で、「もったいない教育」は二つの要素を満たしていると思います。
 学問の世界では、定理が真理で、その大前提の上に全てが成立しています。人間においても、人間とはという定義があって、全ての人がそれに基づいて生きていけば、全うに生きられるという事になります。私は、求めていたその人間定義を、宮沢賢治の詩集「春と修羅」の序「私という現象は、仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です・・・・・・因果交流電燈の一つの青い照明です」という簡潔な表現の中に見つけました。私なりに解釈しますと、人間は刻々と移ろい行く現象であり、この世が仮の宿と言われているように、仮定された存在で絶対ではないのだから、その次元で皆平等であるという事。そして、有機とは生命体を意味し、命を有している一人一人が、天とつながっている透明な内包している魂で交流し合って、元気、安心、希望というような明かりを放つ存在であるということ。古今東西、現象である肉体が死ぬと、その人の魂は天に帰ると言われています。又、「三つ子の魂百まで」という諺の示すように、魂は年をとりません。
 又,賢治は人間を、原因と結果が連なって形成されていく存在でもあると詠っています。確かに、私達の会のプロセスを好例にとれば、うなずけます。会誕生の発端は、夫のライフワークとして拓いた自然卵養鶏場がゴルフ場の建設予定地に入り、決断を迫られ、賢治の言葉「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してそれに応じていく事である」に背中を押され、自分の魂に従って反対運動に踏み切りました。県内初の立ち木トラスト運動や、ゴルフ場の予定地内におおたかが生息している事を発見しその保護活動を展開、又、社長さんへの便り送付など、対立構造は作らず、あくまでも対話的姿勢で臨みました。その結果、一時計画は延期になり、環境改善後ゴルフ場はオープンしました。その後も良好な関係は続き,八年ほど前からもったいない・ピース・エコ・ショップをゴルフ場の玄関先でやらせてもらい、コンプライアンス(社会貢献)に寄与してもらい、私達も毎月順調に命の支援が出来ています。最初に自分の魂を表明した「因」であったからこそ、全てが好転し、現在又未来につながっていくのだと確信します。
 一方、現代は世界各地でおこっている戦争がほとんど宗教戦争で、どちらが正しいかで対立し、終結する気配がありません。しかし、客観的に見ると、歴史的因果の必然性の中から宗教も生まれたと見るべきではないでしょうか。始めにユダヤ教ありて、キリスト教がうまれ、それが中東でイスラム教になり、インドで仏教興りて、日本に伝来し、又そこでいくつかの宗派に分かれ、日本古来の神教とも共存しているという流れになっています。日本の神教は、自然万物の中に神宿るという宗教で、これは自然の恩恵を頂く農耕社会であった瑞穂の国、大和の国が「因」として作用した「果」であったと思います。そこで全ての宗教に共通しているのは、唯一天とつながっている各々の魂から由来する信仰心であります。何を信仰するかは、各々が偶然生まれた時代や場所、或は出会いなどに左右され、それは因果であって絶対ではありません。唯一絶対なのは、万人に共通する魂の存在だけです。魂という規範では、万人が自由であり、平等です。魂そのものが、正義や元気の源なのです。故に、お互いの魂の存在を認め合い、全ての人が有機交流電燈の一つの青い照明となって行動すれば、賢治が理想とするイワン王国のように平和が訪れるでしょう。
 そこで、私達の会は宮沢賢治的世界観に則って人間を定義し、会の基本理念を「自由、平等、行動」とし、全ての課題を根本的、普遍的、包括的立場で対処しようと努めています。
 賢治の偉大さは、いつの時代でもどんな場所でも通用する人間についての普遍的真理を残した事だと思います。賢治の詩を、人間誰もが現象で修羅場を持つ不完全な存在であると同時に、その奥底に透明な魂を宿し、それを核に行動して生きれば、全うな人生を送る事ができるというメッセージととらえ、私は生き直した結果その真理を体感しました。そして、その真理を一人でも多くの人に伝達したくて、これまでに四冊の本を著しました。四冊目の本は、賢治を生きる過程でその都度自分の中から生まれた歌を十数曲選んで「とりあえず症候群のあなたに」副題「宮沢賢治的世界観より」としてCD本にしました。その中の数曲と今度の「もったいないは二つのエコ」を一緒にもったいない教育に活用していこうと思っています。
 私達は、命の支援と環境保全への道のりが世界平和への道のりと信じ、両者を循環させた「もったいない・ピース・エコ・ショップ事業」を二十年以上積み重ねてきました。もったいないは、瑞穂の国、大和の国と呼ばれた農耕社会で、自然に対する畏敬の念と自然の恵みに対する感謝の念から自ずと生まれた、大和魂の核とも言うべき精神であると思います。大和魂を広辞苑で調べると、「1、学問上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。 2、勇猛で潔いのが特性。」とありました。1の知恵は、このもったいない精神があればこそ産み出され、培われたもので、日本の衣食住全ての文化の産みの親と言えると思います。又、2の一面は、第二次大戦の時、戦意高揚のため軍国主義に利用され、曲解されてしまいましたが、戦後その反省の上に立って、68年間世界に二つとない平和憲法の元で平和を堅持してきた姿勢は、世界で稀な誇るべき国民性であり、この憲法を永続させる事こそが日本の世界平和への使命ではないでしょうか。現代の変動激しいグローバル化の渦の中で、日本全体が拠って立つべきアイデンティティ(特性)を見失っているように思います。今こそ、68年間反省の証に堅持してきた平和憲法と、正しい元来の大和魂の復権とを合わせて、大和魂を「ビッグ ピース ソウル」と国際語にして世界に発信してはどうでしょうか。ここで、正にその「ビッグ ピース ソウル」を体現している日本人を紹介します。私達の会が長い間支援に主力を置いている 非政府組織ペシャワール会代表の中村哲医師です。彼は、三十数年前アフガンとパキスタンで戦争の元で難民化した人達の医療に従事していましたが、医療のみならず、水と食料の自給と自立こそが先決と千本以上の井戸掘り、大河から分水する用水路建設で三千町歩以上の緑の大地を実現しました。そして、それまでの用水路建設で技術者に成長した難民の人達が、アフガンにある沢山の用水路を維持補修して、平和を持続していく為に、砂漠を知恵で活用して、そこに自立定着村を作り、平和の礎としました。彼はキリスト教徒ですが、宗教の違いを越えて信頼関係を築き、井戸掘り、用水路建設、自立定着村の手法はアフガンや日本の知恵を用い、材料は自然にある物を活用しました。宮沢賢治は、理想郷を世界共通語のエスペラント語で「イーハトーヴ」と呼びました。これは、世界どこでも通用する理想郷という意図で、中村哲医師は、このイーハトーヴ賞と社会貢献に功績を果たした事でマグサイサイ賞を受賞しています。
 又、女性で初めてノーベル平和賞を受賞したアフリカのマータイさんが「もったいない」を国際語にと絶賛しました。
それほど,日本は世界に誇るべき国民性を多々有しているのに、活用しないのは本当にもったいない事です。
 政府が、地方創生という部門を創設されましたが、グローバリゼーションの競争や変動が激しい渦の中では、時代の波に左右されない、地に足をつけた実直なもったいない・ピース・エコ・ショップのような国民運動のほうが、老若男女の交流を密にし、国民の元気、安心、希望を引き出し、永続性があり、ただの長寿社会ではない、健康長寿社会になり、認知症予防や医療費の削減にもつながり、全国の共感を呼び、一つの新しい地方創生のカギになると思います。
 今回の「もったいない教育」は、生ゴミや米のとぎ汁、廃油といった社会でこれまで環境汚染源とされてきた物をもったいないという知恵で、微生物を活用して、反対に環境浄化源にする試みです。又、食の安全ともったいないを組み合わせた、自然卵養鶏の廃鶏を活用した薫製肉を焼く薫製釜や、もったいない廃材を活用した工作、日本全土で余剰気味の籾殻を活用した籾殻燻炭作りなどが出来る体験小屋を、現在やはりもったいない廃材を活用して建築中です。このもったいない教育によって、足下から自分の生活を見直し、行動し改善する事で、地球、社会、自然などに目が向き、自ら考え、行動する力がつきます。
 自分の魂で決めて行動する真の生命力、生活力が、厳しい未来が待ち構えている次世代に最も身につけて欲しい要素です。

活動概要、実績、本基金からの過去の助成履歴
 前に記しましたように、個人的に生き詰まり、極限状況の中で、宮沢賢治の詩の中に、真に納得する人間定義を見いだし、これまでの生き方を総括し、再生を期して「私の宮沢賢治」を自費出版。賢治を生きる具現的方法として、ゴミ拾いを独りで約三年間続け、その間にゴルフ場問題が浮上。反対運動を契機に会が誕生。ゴルフ場問題が落着後、環境問題全般に関心をもち、炭焼きから始まり、根本的解決の路としてEM(有用微生物群)にたどり着く。一方、環境問題に意識の高い旧猿島町では、住民参加という冠のついた環境基本計画を茨城県で初めて作成。三年間のゴミ拾いで行政と親しくなっていた私は、その委員に選ばれ、住民参加の具体的な形として、EMボカシによる生ゴミの自家処理を提案し、一年間のモニター期間を経て、EM生ゴミボカシの無料配布制度が決まり、合併までの八年間続き、その周辺の自治体の中で可燃ゴミの焼却費が最低を記録。最初そのボカシを職員が手作業で作っていたのを、助成金に応募し、私達の会から町にかくはん機を贈呈。一方、ヘドロと悪臭で行政が困っていた用水路で、EMに排水浄化力があると聞いていた私は、会の定例会にはかって、会の有志で週一回三ヶ月間にわたる実験を開始。会の月一回の水質検査で、その効果を検証。しかしかかってしまった実験費用に困っていたのを、行政が教えてくれた「大好きいばらきの助成金」に応募。採択され、大好きいばらきから取材も受ける。この実験結果を契機に、町で排水浄化対策として、用水路周辺の住民を対象に、EM活性液配布制度が始まる。実験中に、排水を汚す二大犯人は、米のとぎ汁と合成洗剤と判明。途中からその制度は、「米のとぎ汁流さない運動モニター制度」となり、対象は排水浄化と生活改善に協力してくれる町民となり、合併後の現在まで私達の会が、市との委託事業として継続中。又、会として、安全なEM液体石鹸を製造、安価で販売、とても好評です。
 又、旧猿島町の頃、猿島郷土館ミューズの建設準備委員に選ばれた私は基本理念作成の折、エコーミュージアムの存在を知り「町全体を博物館としてとらえ、建物はその拠点とする」という一文を主張、採択される。その理念を会で形にしたのが「猿島野まるごと博物館」。指定した所で承認を頂いて、立て札を建てて回り,マップも作り、それを活用することが会の年二回の交流行事の一つとなっている。
 又、或る研修先でボランティア広報紙の存在を知り、旧猿島町の社会福祉協議会に働きかけて、月一回、全戸配布、手書きのボランティア広報紙「茶はなし」が実現。合併直前まで十二年間続く。そこで毎回ゴミ拾いを呼びかけ実践。
私が、ゴミ拾いを奨励するのは、自然と社会、両方に通じている道路で無心になってゴミ拾いをする事は、自分の中のゴミも拾え、自分の中の魂が目をさまし、自然や社会の問題に向き合い、対処するきっかけをつくってくれるからです。
これまでの活動の原点はゴミ拾いともったいない精神であり、それが形となって残っているのが、「私の宮沢賢治かん」「石けん工房」「もったいない・ピース・エコ・ショップ」そして現在の体験小屋です。三番目以外は、全て会の代表である夫が作りました。これらは、もったいないのシンボルとして見学してもらう価値があると思います。
 又、現代社会は、地球温暖化による気候変動や自然災害の多発、核問題など、未解決の難題が山積しています。私達の会も微力ながらその難題に向き合い、光合成細菌にその解決の糸口があると判断し、検証し、その培養と普及に取り組んでいます。その微生物の特徴は、別紙「もったいない教育」の最後のページに載っています。一昨年、「大好きいばらき」の助成金募集に「EMの中の主役、光合成細菌による生ゴミの自家処理法と安全な社会創り」という題名で応募した所、採択され、その助成金も活用して、微生物を培養するビニールハウスを建てる事ができました。又、市の後援でフォーラムを開催し、市の環境基本計画に私達の会の活動も掲載されました。
 一方、数年前、市から住民参加型街作りプロジェクトへの参加呼びかけがあり、その中の一つ、農業創造プロジェクトに私達の会から三名参加し、そこで私達の会が提案した、国が推奨するバイオマス活用推進計画に着手して下さいという提案は採択されたものの、余りにも大きなテーマだけに議会で通りませんでした。生ゴミの焼却は,地球温暖化を促進し、費用対効果もなくもったいないのであきらめきれず、会で「坂東市有機の里創り研究会」という部会を作り、何度も「次世代のため、元気、安心、希望を与える住民参加の有機の里創りという理念を掲げて、バイオマス活用推進計画に着手して下さい」という内容の要望書や、千名以上の署名を集め提出してきました。その間に東日本大震災があり、放射能問題という喫緊の課題が浮上し,益々光合成細菌の必要性を感じ、活動に熱が入りました。そして遂に着手する旨の返事は頂きましたが、市は実行に至っていません。しかしその後も、私達の会は、出来るだけ身の周りにある物と微生物を組み合わせた良質な堆肥化を模索し、取り組んでいます。
 昨年、「エコーいばらき」環境保全基金より助成して頂きました「もったいない・ピース・エコ・ショップを全国各地に広げる事業」は現在も取組中です。この発想が生まれたのは、いみじくもゴルフ場でもったいない・ピース・エコ・ショップをほとんど毎日やらせてもらっている時の店番からです。店番の時間は読書に活用しています。その読書から、イギリスのチャリティーショップの成り立ちを知りました。1968年に最初のチャリティーショップとしてオックスファムが生まれ、現在ではイギリスとアイルランドに一万店近くのチャリティーショップが存在しているとありました。
 現在日本は経済格差が広がっており、少子高齢化、非正規雇用の拡大、社会保障費の拡大など難問が山積です。このもったいない・ピース・エコ・ショップが全国各地に出来れば、貧しい人達もここで買う事で社会貢献でき、自分達も助かり、高齢者もここで知恵を発揮して必要とされる事で元気になり、豊かな人達は人脈、経験、技術、お金を提供して社会貢献という悦びを得られ、ウィンウィンの関係が生まれます。六年後のオリンピックの時、全国各地に出来ていれば、もったいないの風が日本中に吹き渡り、その名称と仕組みは世界に広まるかもしれません。これも一つのビッグ ピース ソウルの形かもしれません。このようなイーハトーヴを夢見ながら「時は金なり」ではなく「時は命なり」と楽しく残りの命を燃焼していきたいと願っています。